『game++(げーむぷらぷら)4』レポート1
キム・ドンヒョン氏 キーノートスピーチ
【山本】

■オープニング
「game++4」は、山下晃正氏(京都府商工部産業活力支援室 室長)のオープニングスピーチで始まりました。スピーチでは、京都の持つブランドや、京都府における人材育成の支援についてお話ししていただきました。

■キーノートスピーチ
 まず、セッション1として、韓国世宗大学校映像大学院院長並びに(株)デジタルシルクロード代表理事のキム・ドンヒョン氏に「韓国ゲーム産業の現状及び展望」をテーマに基調講演を行っていただきました。キム氏は韓国ゲーム産業を国の基幹産業としてサポートいく仕組み作りを行った中心人物といえる方であり、今までなかなかわからなかった韓国ゲーム産業発展の仕組みについて語っていただきました。

 まず、韓国ゲーム産業の発展史が語られました。1972年の喫茶店へのアメリカ製のゲームの輸入から始まり、80年代の日本製ゲームの輸入による電子娯楽室の拡散と初期韓国ゲーム事情は輸入頼りでした。その後、91年に科学技術処の“著作権法”の立法予告があり、その時点では、科学技術処はゲーム産業育成の勧告を拒否したものの、92年に初の韓国製PCゲーム発売、94年に韓国最初のCG特殊効果映画「九尾の狐」が封切りと徐々に現在のゲーム産業の方向性の基礎ができつつありました。その後、95年に情報通信部にSW産業関連業務移管、96年に情報通信部の情報化促進資金からゲーム産業支援とゲーム産業の国家レベルでの育成の流れが始まり、96年韓国発のMUゲーム“風の国”がサービスを開始、97年にインターネットPC房が誕生、オンラインゲーム“スタークラフト”が大ヒットと現在中心となっているオンラインゲームの流れに突入しました。

その後97年に韓国経済が破綻、IMF管理下の構造調整が行われ、大量の失業者が発生、その失業者によるPC房オープンの拡散(年間1万軒)、ゲーム産業が保健福祉部から文化観光部に移管し、98年に金大中大統領の“文化大統領”論により、21世紀の国家基幹産業として、文化産業を育成するとの天命で、文化産業の中の優先順位第一位としてゲームが制定され、国家としての本格的なゲーム産業支援が始まりました。99年には文化観光部の傘下に(財)ゲーム総合支援センターが設立され、ゲーム関連の規制の緩和が始まりました。具体的には、ゲームの特別消費税35%の廃止、家庭用ゲーム機を輸入先多変化品目から除外、ゲームセンターの面積制限の撤廃、PC房内での飲料販売の許可、ゲームセンターの営業時間制限の撤廃、標準産業分類にゲーム産業を含む文化産業を追加、そして兵役特例対象にゲーム開発者を追加となっています。また、プロゲーマーが誕生し、ゲーム大会、プロゲームリーグが始まり、ゲーム教育機関の設置もスタートしました。ゲーム教育機関は、現在、大学院が5校、4年生大学ゲーム学科が7校、4年生サイバー大学ゲーム学科が4校、2年制大学ゲーム学科が22校、それに実業系高校のゲーム学科となっています。2000年にはゲーム会社がKOSDAQに上場し、ゲーム綜合支援センター内にゲームアカデミーが設置、ゲーム専用ケーブルテレビが開局し、現在に至っています。

 次に、韓国政府のゲーム産業育成についてお話いただきました。この事業推進の目標は、総合的なゲーム産業の育成、支援事業の展開により、21世紀知識産業時代の核心産業的位置を確保し、世界3大ゲーム強国へ進出することにあります。基本方針は、ゲーム産業を体系的に育成するための5大核心プログラムを用意して、分野別細部実践計画を儲けて

1(次ページへ続く)

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