東京視察1日目
レポートデジタルミュージアム2000展と江戸東京博物館
【山根】

■デジタルミュージアム2000展

 2000年3月31日、まず初めに東京大学本郷キャンパスにある総合研究博物館にて行われた「デジタルミュージアム2000」展を見学しました。この展示会はデジタル技術を用いると、博物館展示でどのような仕組みが取り入れられるのかをパイロットモデルとして提示しようと試みた展覧会です。入り口で音声ガイダンス機器とレーザポインタを借りることができ、これらによって展示物に近づくと自動的にそれらの解説が流れるようになったり、また展示物によってはレーザポインタでケースに入った展示物の解説パネルを指し示すことによって更に詳しい解説が聞けるようになっていました。展示物は東大が学術資料として保管してきた縄文時代の土製品、東アジア・ミクロネシア古写真、植物標本、森林植物、美術雑誌、西アジア古美術、古地図の一部現物とそれらをデジタル化し利用閲覧できる形のものを公開していました。

 デジタル化されたものの閲覧としては三次元CGとして表現されたもの、土器など出土された際の出土地、発掘日時、推定年数などの情報が入ったデータベースと連動したガイドの様なもの、昔のフィルム映像をデジタル技術で修復し、当時の画質を再現したものなどがあり、デジタル技術の導入によって唯一存在する貴重な現物資料を損傷・劣化させることなく、また空間的な制約無しに全国・全世界からでも資料にアクセスできるようにし研究などの目的で永久に利用・活用できる仕組みとして期待されています。
 ただ今回の展示では研究資料をデジタル化した際に当然起こるであろう次のような疑問に必ずしも充分に応えられる精度ではなかったように思います。それは(1)現物から得られる感覚的な情報の欠落、例えば土器では手で触れる感触、土の感触などの五感情報の欠落、(2)現物の維持・保存以外でのデジタル化のメリットが希薄であった、等です。また今回の展示で気になったのは、デジタルミュージアムであるがゆえの場所性の問題です。デジタルネットワークが徐々に整備されるにつれて、知識や智恵はネットワークに繋がりさえすれば、ある程度は得られる状況が生まれつつあります。博物館というその場に存在すること、その場に集うこと、そして現物が生まれ出る・出た際の知識の創造過程へのアプローチを見出さなければ、現物の維持・保存という目的を達成するための死んだ「箱もの」としての存在でしかあり得ません。つまり博物館という知識の集積場はstaticな存在ではなく、知識を呼び込み吸収するdynamicな存在でなければ、デジタル社会においては存在そのものさえも疑われていく危うさを持っていると感じられたことです。「もの」と向き合うことが宿命の博物館において、デジタルアーカイブへの投企、知の継承への試みはまだ始まったばかりですが、その真摯な取り組みに期待を持ちたいと思います。

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