第6回ゲームサロン
『ゲームアカデミズムの確立を目指して』〜ゲームに対する偏見との闘い〜
講師 茨城大学大学院教育学研究科卒 八尋 茂樹氏
【近藤】

■1999年6月14日 第6回ゲームサロンにて

 「ファミリーコンピュータの発売から早15年。現在、テレビゲームの文化は、男性のメディアから、女性のメディアまで、ジェンダーの壁を超えて広く普及している。
 しかし、ゲームに対する社会の眼差しは未だに冷たい。」--と八尋茂樹氏は、ゲームアカデミズムの確立を目指して〜ゲームに対する偏見との闘い〜という講演会の中で語った。八尋氏は、既存の社会学を中心とした「ゲーム論」より、ゲームの内容そのものを検証することを試みる新たな「ゲーム学」の確立を目指す者である。
 確かに、これまでのゲームに関する研究の中では、ゲームが社会に対するインパクトの面だけが行われ、社会的な関心も、もっぱら、ゲームが子供達にどのような影響を及ぼすのかという議論だけに当てられていた。しかもその中で、常にゲームは、犯罪をすぐにゲームに結び付けたがるマス・メディアの偏見に満ちた冷たい目に晒され続けて来たのである。
 さらに、アメリカでも、クリントン大統領の指導の下、1億ドルを投下して、ゲームが犯罪性を高めることに関して、調査に乗り出したと伝えられている。
 しかし、テレビゲームがその誕生以来、度重なる非難と偏見に晒されるのは、一方では、それだけゲームの持つ潜在的な力の証だと見ることもできる。「太宰治の小説を読
んでも感動しない少年が、RPGには、大いに感動する」。ゲーム自体を一つの文化とみなすことはできないか。ゲームは悪だという固定観念から抜け出し、ゲームの本質を探究する学問の確立を急ぐ必要が有るのではないか。

 「ドラクエ」がアメリカで、日本程には、流行らなかったのはなぜか? --この講演会で、八尋氏は、RPGを研究材料に、日米比較文化論を展開し、それを一つの「ゲームアカデミズム」の切り口とした。そこから浮かび上がった「ドラクエ」不評論には、4つの大きな論点が上げられる。

 一つ目は、マンガ・アニメ文化に対する日米の捉え方の違いである。 アメリカでは、マンガに対する偏見はまだまだ根強い。マンガ・アニメは、どうしても幼稚なもの、低俗なものとして捉えられる。そして、それらの絵の特徴は、ドラクエの世界でデフォルメされたキャラクターと合い通じる所が有る。  二つ目は、国民性の違いが上げられる。
 それは、「役割概念の違い」と置き換えても良い。日本社会では、「受容的勤勉性」が求められる。それに対して、アメリカ社会では、「自主的選好性」が求められるのだ。
1(次ページへ続く)

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