第1回ゲームサロン 『ハードウェアの進化からみたテレビゲームの歴史』
講師 株式会社DVL企画本部企画部長 高野雅春氏
【伊豆田】

 1998年7月3日、京都リサーチパークセンターにて、京都府主催の「ゲームサロン」が開催されました。  これは業界関係者をお招きしてテレビゲームによる人材育成の可能性を模索していこうという主旨で開かれたものです。  今回のお客様は株式会社DVL(デジタルビジョンラボラトリーズ)企画本部企画部長の高野雅春さんにお越しいただき「日経エレクトロニクス」誌の記者時代にゲーム機の技術的・設計的な面からのアプローチで取材をされた時の経験を元に、アメリカで作られた世界初のテレビゲーム機からファミコンの登場に至るまでのハードウェアの進化の歴史の話とテレビゲームにまつわる面白い話やテレビゲームの問題点などを語っていただきました。

■テレビゲーム草創期のハード

 まず高野さんは、連載当時の原稿 を元にしたレジュメを使って日本とアメリカにおけるテレビゲーム機の歴史をその草創期まで遡って紹介をされました。  1970年代のハードの説明、特に世界初のテレビゲーム機である「オデッセイ」などは、性能的には現在のテレビゲーム機には遠く及ばないにもかかわらずハードとソフトの分離(ワンハードマルチソフト思想)や、対戦を意識して2つのコントローラーを付属していたなど、今のテレビゲーム機の設計とあまり変わりが無いことを知り、逆に当時のテレビゲーム機の設計の先駆性にびっくりしました。
 当時のアメリカのある論文には、『この家庭用ゲーム機「オデッセイ」が普及すれば例えばケーブルテレビのセッ
トトップボックスになり、色々なネットワークサービスが受けられる器になる可能性がある』、という内容が書かれていたそうです。
 先日発表されたセガの新しいハード「ドリームキャスト」にはモデムが標準装備されているそうですが、ということは、やっとこの当時の発想が形になってきた、とも言えるのではないのでしょうか。
 この他にも、高野さんに最初のマイコン搭載ゲーム機や表示能力の低さを補うために、テレビ画面にオーバーレイを貼って遊ぶテレビゲーム機など今から思うと笑ってしまうような性能ではあるが、何かほほえましいものを感じてしまう話を聞かせていただきました。
 有名な任天堂の「ファミコン」はこれらのハードの良い点・悪い点を研究してつくられたいわば初期のテレビゲーム機の集大成であるということでした。

■ユーザーインターフェースについて

 次に高野さんはハードウェアの中でもユーザーインターフェースの部分の話、特に現在ではビデオデッキ等の操作にも使われているファミコンの「十字キー」の発明による人とゲームとの一体感の達成の功績についてかなり熱心に語られました。
 任天堂の開発者の方の話によると、壊れにくいインターフェースを考えた末に当時同社の「ゲーム&ウォッチ」シリーズで採用されていた「十字キー」に行き着いたということで、最初はそんなに良いものだと思っては
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